水無月文月葉月長月

2001年神無月三十一日(水)

これって・・・常識だったのかなぁ・・・昨日、授業であることを知り自分の無知さに恥ずかしさを

感じました。それは、Halloweenの意味。子供の頃からYWCAなどに通っていた私はなんとなく

これってキリスト教にいわれがあるのだろうと勝手におもっていたのだけれど、実はケルトの関係

だったらしい。だから、イギリスでは、カトリック的なもの(アイルランド的なもの)ということ

で全く無視された行事だったと教授はいっていた。ケルトカレンダーで11月1日は新年にあた

るからHallowすなわち聖化される日であって、その前日even  (eve)が邪悪なものが出歩く

といわれている。それがHalloween。みなさん、ご存知でした?仮装する日・・・・って

思ってないですよね。(私だけか・・)ケルトの行事だからアイルランド、スコットランドでは

とても大きな行事なんですね。ひとつ賢くなりました。ただ、彼曰く、ケルト信仰は

自然崇拝だから、収穫祭のような意味合いでかぼちゃをモチーフにするということでもある

らしい。スコットランドでは、この日にあるおまじないをすると将来のパートナーの姿が

みえるというものがあるらしい。山手線で仮装パーティーがあるらしい。あっちこっちの

パブできっとHalloweenパーティーがあるのでしょう。The Angelに行きたいな・・。

 

2001年神無月三十日(火)

日に日に寒くなってきている。学校の前には焼き芋やさんがではじめた。子供の頃、親戚の

家の近くを毎日、犬を連れてまわっていた焼き芋やさんがいた。いつしか犬がいなくなり

そのおじさんもこなくなってしまった。最近,そのように回っている焼き芋やさんを

みかけない。もっとも、焼き芋が高くなってしまって昔のようにちょっとしたおやつ

というかんかくではない。子供の頃の、懐かしい風景画消えていくのはさみしいなぁと思う。

スーパーで売っている焼き芋はなんとも魅力がない。ほくほくの焼き芋にバターをつけて

たべたいなぁ。

2001年神無月二十八日(日)

最悪の週末だった。そもそも、体調がよくなかったのもあったけれど、下にあるように

おでんからはじまった。おでんは結局、いやだとたべてくれず、茶飯もだめ・・・。ソーダブレッド

があったからよかったようなものの、それで夕飯となった。私がいまいち、調子があがらない。

そして、夜中も眠れず、起きたりしていると「どうしたの?」と引きずり戻される。

「いびきがうるさい?」・・・いや、そういうことじゃなくて・・・・これは笑えたけど。

気分が沈む。彼のジョークでいう「おばさん」という言葉にむかついて、ちょといらいらして

いると夕方、рェあった。そこで私の大好きなFridaysのバッファローチキンをご馳走してくれるという。

暗い気分を吹き飛ばすため、めずらしくファンデーションをぬりしっかりとお化粧。そうしないと

街にいく元気がでない。そうして、あうとたくさん誉めてくれたので、ちょっと気分があがった。

楽しく夕飯を食べ、彼は同僚たちといっしょにHalloween Partyにいくというので私もいったが

だめ・・・。途中でおなかがいたくなり気分が悪くなってきたので彼に帰ることを伝え、

家に帰ってきた。すごく心配してくれた。でも私は一人で帰る。ま、これはしかたがないのだろう。

朝,6時頃結局一晩眠れずに、メールを打っているとカギの開く音。ん??と思っていたら

心配して彼は来てくれた。これはうれしかった。翌日、前から彼は買い物に行きたがっていた

ので原宿へ行った。しかし、お天気が悪い。そして、いつのまにか彼の機嫌まで悪い。なにかした

かと考えていると「おなかすいた・・・」とぽつり。しかし、同時に銀行に行かないといけない

というので探すこと1時間くらい・・・。人ごみ、あめ,ご機嫌ななめ・・・いやな状況だ。

私にあたるので頭に気て(かなりめずらしい・・・)「前にも言ったけど、私は最近,ここにきて

ないんだからしらなくてもしかたないでしょ!自分できたいっていったんだから文句いわないで」

と怒ってしまった。さすがに彼もまずいとおもったらしく、無言・・・。「もう、帰る」

といおうと思ったがいえない私。銀行を見つけて,その後居酒屋さんへいった。まだ、それでも

機嫌がわるそう。小声で早口でなにか言うので聞き取れず、聞き返すとため息をつかれた。

おもわず涙がでてきてしまいそうで、何もいえなくなってしまって,黙りこくっていると

とたんに彼はあやまってきた。「私なにかした?なんでそんなに機嫌が悪いの?」やっとの

思いできいた。「何でもない。おなかすいて、あめにぬれて気分がわるかっただけ・・・」

ならいいけど・・涙がでてきてしまって・・・・彼はひたすら謝る。その後,ご飯をたべ

彼も機嫌が直り、無事に仲直りをした。二人ともなんだかつかれていたらしく、家について

バタンキューでねてしまった。へんな週末でした。

 

2001年神無月二十六日(金)

あっという間に10月も終わりに近づいてきた。ここから年末まで早いんだよなぁ。

今日はこの数日間会えなかった彼がやってくる。学校から帰ってきて大急ぎで掃除,

ご飯を作った。彼は早速昨日からジムに通い始めたらしい。すっかり彼はダイエット

する気マンマンである。朝早起きを普段しないのに8時にはジムへ行き,一汗流して

日本語レッスン、そしてお仕事。えらいなぁ。見習わねば。そこで心ばかり、健康面を

補うために食事に協力することにした。前は、帰ってくると遅い時間だろうがなんだろうが

しっかり食べて、キットカットを食べていた。(下手すると私のも奪われる)喘息の問題も

あるのでソーダブレッドを食べるようにし、夕食はあっさりめにしたいらしい。そこで、

今日は秋の風物詩?おでんと茶飯にしてみた。でも、食べられないと心配なので念のため

お肉も隠してはある。さて、どうなることやら。

2001年神無月二十五日(木)

近所のビデオやさんからはがきが届き、誕生月なので一本無料になるということで見たかった

映画「スターリングラード」をみました。きっと文句が出るかもしれませんが・・・うちの彼は

けっこうJude Lawに似ていると思うことがあり(もっともあんなにやせてないけど)感情移入

しまくりでした。最初は「かっこいい〜〜〜!」などとミーハーにみていたのですが途中から

引き込まれてしまい最後は涙ポロポロ・・・。。。今も戦争が行われているかと思うとたまらない

気持ちになります。人間は個人ではいい人なのに、団体になるとああも残酷になれてしまうのだと

改めて実感しました。映像がすごくて、本当に実戦ばりの(実際みたことないけど・・・)

戦争の残酷さ、殺し合いに鳥肌がたったほど。愛も友情も引き裂く戦争。戦争という名の人殺し

にしかすぎないと思いました。聖戦だろうがなんだろうが、殺し合いにしか過ぎない。

早く平和な日が訪れることを心から願います。

2001年神無月二十四日(水)

今日は忙しかった。先日のパーティーで沢山の人に「ふとった」といわれ気にした彼は

スポーツクラブに行くことを決意。そのため、つきそいで近所のスポーツクラブへ行くことに

なった。中を見学して、入会のためのプラン検討&手続き。ひとつひとつ、訳しながら

記入していく。わかるところは私が書こうとすると「何がかいてあるの?」といちいち

聞いてくる。途中で時間がなくなってきて、せかされながらあわてて書いた。私はまるで

そこのスタッフの人のように入会の手続きをしていった。「いい秘書だよね・・・」と

自画自賛してしまった。その後、今日は前の会社の社長と会う約束をしていたのでオフィスを

訪ねた。「ぜひとももどってきてほしい・・・」といってくださったのはありがたいが、

迷う。もう一人のアシスタントのこと遅いランチをして状況を聞いてみた。かなりまずい。

前回行ったときのグチグチになっていた自分を思うともどらないほうがいいのかな?と

思いつつも、私のいけない「なんとかしてあげたい」がでてくる。とりあえず考えます

と保留にしてきた。ま、祈ってみよう。行くべきところはおのずと開かれるだろう。

 

2001年神無月二十三日(火)

世の中なんてぶっそうになってきているのだろう。でも、人間とはある意味すごいもので

適応することが出来てしまう。心理学を勉強していて思うことは、どんどん進化していく

社会に人間の適応性というものが追いつきづらくなっているということ。ストレスの種類も

元も生活事態が違うのだから過去の事例ばかり挙げていてもしかたがないと思う。テクノストレス、

ラッシュアワーのストレスなどそもそも違う。実際、仕事でラップトップに向かって数時間仕事

うをしているとめまいと吐き気に襲われる。便利にするための文明が人間を支配していく。

携帯電話の普及も、ドラッグのようになかえれば困る代物になってしまった。私自身、ないと

非常に不便を感じる。もちろん、よい点も沢山あるけれど本来の人間の機能を奪っているような

気がする。外にいると、本当に精神的にやばいな・・と感じる人が増えてきた。そんな私の理想

の生活・・・畑に野菜を植えて基本的に自給自足の生活がしたい。テレビがなければどれだけ

会話が増えるのかと実験してみたくなってしまう。今日は本当につれづれになっちゃった・・。

 

2001年神無月二十一日(日)

今日はまたまた楽しみにしていた日。朝?おきると2時だった。あわててしたくをして

広尾へでかけた。というのも前からの約束で今日は彼がSunday's Lunch結局Supperでしたが

をつくってくれることになっていたから。インターナショナルマーケットに買い物に行き、

うちで彼はローストビーフを作ってくれた。私はその後ソーダブレッドを作った。お皿に

山盛りのマッシュドポテト、ベイクドポテト、ニンジン、グリーンピース、ローストビーフ

にグレイビーソース。とってもおいしかった。彼がこんな料理が出来るとは・・・私は世界一の

しあわせものだ・・・と感動(笑)。テーブルセッティングにもこだわりたかったらしく、

やれテーブルクロス・・キャンドル・・赤ワイン・・・・とロマンティックな素敵な夕食。

  

その後に映画をみた。「13デイズ」というJFKのキューバ危機のときのもの。側近も

アイリッシュだったらしい。「アイルランド系」ということがそこでも大きくひびいて

いたんだな。なかなかおもしろかったです。本当にかつてない素敵な誕生日ウィークは

こうして幕をとじました。

 

 

2001年神無月二十日(土)

いよいよ待ちに待ったパーティー!会いたい人がいろいろいたのでとても楽しみだった。

昨日とはうってかわり早起きしてしまった。(といっても10時頃・・)部屋の掃除、カーテンと

敷物を冬支度にかえ、マッサージにいったり(あまりの腰痛と首が感覚なくなるほどだったので)

走り回って,彼が着替えにうちにくるというので夜いったん家へ帰った。まだまだ余裕と

思い家を出たのに新宿に着いたら9時を回り、歌舞伎町に着いたら9時半寸前・・・。9時くらいにつく

つもりが・・・、とあせってお店にいくとみんな待ってる・・・・。参加者はkyokoちゃん、Takashi

くん、ほっさん&えびさん夫妻、Sちゃんとお友達のAiちゃん、ママさん(Ruth)の友達Hさんと

まさに10年ぶりくらいにあった娘のAちゃん,韓国人のお友達Kさん、Alanの彼女Mさん、働きながら

参加してくれたAlan,彼と共通のお友達自称彼のおとうさんErick(日本人なんだけど・・・)、そのお

友達Tさん、彼の自称おにいちゃんTerry,そしてケブくん・・・Special Thanks!すごいことに

なりました。The Angelのスタッフの方たちが本当によくしてくださってお料理も豪華だし,

最後にケーキをだしてお店を暗くして、みんなでHappy Birthdayをうたってくれた。しかも

そこにいたほかのお客さんまでうたってくれたり拍手していただき感無量。思わず涙が出そうでした。

と同時にはずかしかった・・・・。みんなそれぞれとても楽しんでいただけたようで、しかもバラの

花束二つにプレゼントまでいただいてしまい本当にうれしかったです。ママさんからのカード(普段

もらったことがなかったのでおねがいしたところ・・・)に感動してしまってあとからぐっと

きちゃいました。その後、ケブくん、Terry,彼とMさんが残り4時くらいまでのんでいたものの

ケブ君も仕事があるのできりあげ帰った。ちなみにまた、彼とケブくんは外でボクシングをやっていた。

本当に素敵な一日でした。ありがとう。

 

 

 

2001年神無月十九日(金)

今朝起きたら・・・寒い。ふとんから出られずしばらくもがいていたけれど、仕事に

間に合わないと覚悟を決めて飛び起きた。コーンスープとWheetabixを食べながら

いきたくないなぁ・・・と思っていた。出かけてみると、予想通り寒い。会社につくと

暖かい。ねむいなぁ・・と思っていたけれどやることは山のよう(しかも結局・・終わり

きらず、どうしてもやることだけやって・・・19時だった)一緒に働いている

上司の女性がランチをご馳走してくれた。とてもおいしいイタリアンレストランで今度

彼ときたいなぁと思った。離していてびっくりしたのは、彼女は私が留学したときにい

っていたカレッジの語学学校に2,3ヶ月いたということ。思い出話に花が咲いた。

仕事後、パパさん、ママさんと3人でおすし屋さんへいった。久々のおすし。おいしかった。

パパ、ごちそうさま。たかが二日間彼にあえないだけですごく寂しい。明日の打ち合わせを

電話でした。明日は会えるし、パーティーだ。すごく楽しみ。

2001年神無月十八日(木)

さ・・・・寒い。いきなり冬がきた。薄着をしてでかけてしまった私はやや風邪気味。

うちのマンションは夏暑く、冬は寒い・・・。ビールはもういらないなぁ・・・と思うのに

冬物語・・・などと季節限定ものに弱いわたしは思わずかいそうになるが土曜日のため

我慢。なのに彼は屋外で先生仲間とカンビールをのんでいるらしい。信じられない。

なんか一日あえないだけでもさみしいなぁ・・。明日は実家でパーティーのためあえない。

ふ〜〜〜・・・・。今日、ママさんにプレゼント何がほしいか聞かれ「クラダリング」

を所望した。うれしいな。母から子へ・・・で初めてのクラダがママさんからというのは

うれしい。待ち遠しいな。

2001年神無月十七日(水)

昨日の出来事。急遽、夜、彼のところへいくことになった。

「誕生日にビールをおごらせてくれる?」と彼からのうれしい申し出。そして、二人で近所の

アメリカンバーへ行くとケブ君がいた。小さな誕生日パーティー。すっかり盛り上がっていると

ケブ君の携帯がなった。席を立って話をしていた彼がもそってくると私に携帯を渡した。「

誰?」ときくと「僕の両親」は???と思いつつ電話にでた。「この前はケビンの誕生日に色々

ありがとう!今日はあなたの誕生日なんですって?」といわれた。「何もしてないのに・・・・」

というといきなりパパとママがHappy Birthday to you♪と歌いだした。大感激!パパと

ママがかわるがわるрナ話し掛けてくれた。私が喜んで席に戻ると彼がばつの悪そうな顔

をしている。「アイリッシュとアメリカ人のちがいね。アイリッシュは言いたくても遠慮がち、

アメリカ人は気持ち以上にみせるじゃない?」と彼の両親に対して変なフォローをしてしまった。

でも、彼のママは骨折してカナリア島にいっぱなしだし、彼も自分から私の誕生日だとは

みんなにいわないだろうし。でも、もしそばにいたらとってもいわってくれるのはわかる。

私の生まれた時間の直前に私のママも電話をくれた。「ママだ・・・」と私がいうとケブ君が

рうばいとってでた。その後、彼とも話しママまでテンションあがってた。土曜日の

パーティーのことを二人でこそこそと話し何か取り決めているらしい。楽しみ!

2001年神無月十六日(火)

30歳です。めでたい・・・。新たなスタートっていう気がとてもする。しかも最高に素敵な

誕生日が今年は楽しく迎えられたので神様に感謝!昨晩、彼がうちに来てくれるというので

待っているとベルがなった。いつものように?走ってドアをあけに行くとぬっと・・・

赤いバラの花束が・・・。まだ、誕生日ではないので何も言わずいきなり渡された。

誕生日に赤いバラなんて初めて。照れてしまって素直に喜んでいないように見えたのか

うれしいんぽか何度も確認されてしまった。涙が出そうなくらいうれしかったんだけど

そんな顔したら本当に泣いちゃいそうで、きとわけのわからない顔をしていたような気がする。

どんな顔して買ってくれたんだろう?その後食事をして「ハートオブウーマン」をみた。

途中で12時を回ったときに「Happy Birthday!」といってくれた。そして、プレゼントみたい?

ときかれ、大きくうなづくとカードをプレゼントがでてきた。何よりも私はカードがほしかった

ので大喜び。書いてあったことはシンプルだけどとってもうれしかった。

そして、ぷれぜんと。なんだろうとわくわくしながら細長い包みを開けるとブレスレットだった!

彼らしいデザイン。シンプルでもゴージャス・・・?私は以前時計をあげていつも彼の

左手にはそれがある。右手にはお互いペアリング。これでお互いどこをみても忘れないね。と

笑った。その後さらにでてきた。週末のパーティにケーキをお店が用意してくれることに

なったので、なんだ?と思っているとカステラが出てきた。「たべたことあるの?」ときくと

おいしそうだったとのこと。大笑い。ワインにカステラで乾杯をした。こんなにうれしかった

誕生日は初めて。私の30代出足は上々だ!

包みを開けると

2001年神無月十五日(月)

いよいよ20代最後の日。何wしたらいいのかな?昨日は彼のところにまちにまった

ソファベッドが届いた。「僕のソファいいよね〜〜〜♪」と一日中ご機嫌。一日

掃除したり洗濯したり散歩したりと楽しかった。夜ケブ君が帰ってきたので来週の

私の誕生日パーティーもうちあわせが始まった。どうせやるなら・・・と主催者二人は

とんでもないことを言い出した・・・。「どれだけきたない格好ができるか・・・」とか

「スーツできめるとか・・・」とか色々いいながら、結局Halloweenも近いので仮装することに

なった。ケブ君はオサマディンラディン市がにあいそうだ・・ととんでもないことを言いつつ

小泉首相になるらしい。彼はオースティンパワーのDr.イーブルになるらしい。そのため,また

坊主にもどるらしい・・・やめて〜〜〜。いったけどきいてくれない。私はどうしよう・・・。

「くのいちは?」といわれたが・・・衣装が手に入らない。う〜〜〜む。何かおもいしろい

ものはないかな?アイルランドでレプラコーンの衣装をかってくるんだった・・・。

2001年神無月十四日(日)

昨日の続き・・・。テレビの撮影は生中継だったらしく見損ねてしまった。残念。

でも出番というほどのものもなくとてもつまらなかったらしくプリプリして帰ってきた。

私は翌日のため終電で彼の家に行ったのだけれど、彼はまだもどってなくて部屋に入れず

ケブ君がいるという情報を聞き、近くのなじみのバーへ。ケブ君はすでにいいかんじで

久々に色々はなせた。彼のおばあちゃんはとてもアイリッシュネスの強い人で彼は子供時代に

アイルランドの歌、ダンス、楽器などを習わされており,彼以上にアイルランド人ぽいところ

がある。もちろん、彼はアメリカ人だからアメリカ人要素も持ち合わせているんだけれど

彼曰く、「ソーダブレッドと紅茶の朝ご飯は最高だ!」そうだ。「ただソーダブレッドだけじゃ

まずくてくえたもんじゃない。でも、バターをつけると最高!アイリッシュも普段はすっごい

つまらないやつらだ。でも、ビールをもつと最高なやつらだ。」彼曰く、土地の食べ物と

その国民性は同じだそうだ。これは納得がいく。もともと毒舌家でシニカルなところがあるけれど

基本的に愛情たっぷりの家庭で育っただけでに寂しがり屋でもある。先日の彼の誕生日に私は

彼と二人でカードを用意し、ワインとケーキを持っていった。その日パーティはできなかった

ものの異国の地で知り合いも多くはないし,何も期待していなかったのにたかが彼の

ルームメイトということでそんな気にかけてくれたというのがうれしかったらしい。

彼の両親は私をmost wonderful girl in the worldととても感謝してくれていたらしい。

それはまた彼のキャラクターがそうさせただけなんだけれど、なんともてれてしまう。

もっと何かしてあげたかったけどできなくて悪かったなと思っているくらいなのに。なんだかんだ、

盛り上がっているところに非常にバッドムードな彼がきた。またまた、私たち二人が盛り上がって

いたからご機嫌ななめ。しかし、オーナーさんのスクーターを借りて外でちょっと遊んだら

機嫌は復活・・・。子供だ・・・・。

 

 

 

2001年神無月十三日(土)

今日も秋晴れの気持ちのよい一日でした。今日は彼と週末のデートって思っていたら

「今日はしんごにあうんだ・・」とпBしんご?だれ?風見慎吾がふと頭をよぎったとき

「しんごママ」といわれた。「は??なんで?」ときくと番組の収録で外人エキストラが必要

でそれに参加するそうだ。思わず、ずる〜〜〜い。私もしんごママあいた〜〜〜い!と

うなってしまった。そうそう、ちなみにsmapの香取慎吾のことね。何の番組にでるのか

後で話しを聞くのとテレビを見るのが楽しみです。なんかみてて緊張しそうだわ。

2001年神無月十二日(金)

今日は秋晴れの気持ちのよい一日でした。Whoさん、ご結婚10周年

おめでとうございます。無事に一週間が終わった。あっというまに10月。

そして、あと4日で私の20代は幕を閉じる。う〜〜ん。いろいろあったけれど

最後の一年はよかった。私にとっての成人式がこの誕生日という気分。これから

どんなことがまっているのか楽しみ。来週の土曜日にパーティーをアイリッシュパブでやる

予定。そのことで彼と話していて誰がくるの?ときくとわからない・・・だって人数

わからなきゃ予約できないじゃない?というやりとりをした。思わず、これが結婚

パーティーでも「わからない」という返事が返ってくる気がして一瞬ひやっとした。

ま、ちがうからいいんだけど。私は彼からプレゼントをもらったことがない。初めての

カードとプレゼント!それだけでも楽しみ!しかも、お店でケーキを用意してくれるそ

うだ!本当にへんなつながりのあるお店。ローカルっぽくて楽しいな。

2001年神無月十一日(木)

なんだか一週間が早い。良いことだ。仕事場にもなれてきた。でも、やっぱり

なんだか疲れが抜けないな。特に眼がつらい。家でのPC時間をちょっと減らしてる

んだけど・・・。さて、昨日は彼がソーダブレッドを食べにやってきた。本当は

くる予定じゃなかったのに「今回ソーダブレッドがすごいおいしいの!」

と報告するととんできた。げんきんなやつだ。といいつつも食べさせたかったの

だけれどね。彼の最も大好きな組み合わせスモークサーモン&ソーダブレッド

とダブリンで食べたクラムチャウダーとの組み合わせもよかったので両方用意した。

ドキドキしながら「どう?」ってきいたら、「本当だ!すごいおいしい!」と

言いそうな顔で答えてくれた。感無量・・・という顔(笑)。「アイルランド

の味がする?」と聞いたら完璧だと答えてくれ、しっかり平らげてくれた。

ほんの4切れ余った分は明日のランチに持っていくといっていたら本当に

もっていった。作りがいがあるな。今日携帯メールでやり取りをしていたら

「君は最高の彼女だ。だって、あんなにおいしいソーダブレッドが作れるんだから」

とメールがきた。うれしいやら悲しいやら・・・。あとでジョークとはいってたけど。

思わず今日も作ろうかと思ったけどやめました。だって、明日も仕事だもん。

2001年神無月十日(水)

ソーダブレッドを母のために作った。ともこさんおだんなさん方式でトライ!すると

大成功!味が完璧にMaCambridgeっぽくなりました!うれしいい!!!

そこで、レシピを紹介!ただかなりそれぞれの料はあいまい・・目分量・・。

小麦粉全粉粒(できればあら引き)50g

砂糖(さとうきび砂糖使用)小さじ4〜5

塩 少々

ベーキングパウダーこさじ1/2

重曹 10g

あればWheetabix1/2(細かくして)

卵1個

ヨーグルト(無糖)大さじ3

牛乳(低脂肪使用)マグカップ2/3+レモン汁をちょっとだけ

まず乾いたもの(Wheetabixまで)を混ぜ合わせる。(ちなみにふるわなかった)

均等になったところに、卵をややあわ立ててまぜる。

そして、牛乳、ヨーグルトをいれる。

またまぜ、よく練る。全体がまとまってきたら円形もしくは楕円形にし

(これはお好みで)トップに大きく十字の切込みを入れる。

オーブンは余熱しておく。アルミホイルで全体をつつみこむようにして

210℃で25分焼く。全体を乾かすように200℃で15分くらい焼く。

できたら網の上で少し乾かす。

以上です。おためしあれ!

 

 

 

 

2001年神無月九日(火)

今日から新しい派遣の会社へ出勤。水疱瘡のおかげで予想外に長く休んでしまい

しかも、アメリカにある大手コンサルティング会社ということで緊張。でも、所詮会

社は人間がやってるんだからとなだめつつ緊張のため寝不足ながら出勤。朝のラッシュで

気分が悪くなりつつ無事に到着。いろいろやる仕事の幅が広いけれど楽しかった。

でも、体力が落ちているらしく仕事が終わったらぐったり。そのまま無理やり学校へ。

教授も疲れ気味なのかため息をつきつつ授業・・。何をいってるのか良くわから

なかった。アイルランド、UKについての授業だからイメージはわかる。先生が

何をいいたいのかもわかる。でも、それじゃ普通の学生わからないよ〜〜〜と

思った。たとえば、「むこうのパンはグルテンをぬいてある。ぬくのは大変だと思うん

だけど・・・」以上。どんなパンかわからない・・・。う〜〜む。先生、気合入れてね。

ま、なにはともあれ無事にお仕事復帰ができてよかった。

 

2001年神無月八日(月)

とうとう、アメリカの攻撃が始まった。アメリカの攻撃理由とアフガニスタンの

戦闘理由がかみあわないので話し合いにもならない。長引く予感。彼の

ルームメイト、ケブ君の弟がグリーンバレーにいるだけに他人事に思えない。

この2,3日彼がお休みだったので、いっしょにいながら久々にケブ君とも

話が出来た。彼はN.Y.のおばさんからもらったバースデーカードを見せつつ

よんでくれた。「誕生日おめでとう!」につづいたのは私の知り合いのだれだれが

テロの事件でなくなったという悲報。しかも3,4人くらいの話がつづられてる。

これは「誕生日カード」というより「悲報」だよね。と彼は苦笑。うちの彼も

加わり「いかにもアイリッシュだね」という話に。私が理解できずにいると

悲報に首をつっこみたがるのが(要するに誰かがなくなったと聞くと自分との

関係を懸命に探し,悲しむ理由をさがすらしい)アイリッシュだそうだ。カトリック

的な考え方らしい。しかし、実際に彼の友人も今回の事件でなくなったらしい。

日本はどうするんだろう・・・。のんきにしている場合ではないような気がする。

といいながら、今日は彼がお夕飯を作ってくれておいしかった。小さな幸せを

壊さないでほしい。神様が・・・とタリバンは言うけれど、憎しみや破壊は

神様が起こすことなんかではないと思う。

 

2001年神無月七日(日)

今日は私の母校の文化祭。高校時代からほとんど毎日顔を出しにいっている。

顧問の先生がなくなり友人がコーチをしてなんとか持ちつづけている部活のため

に今も行きつづけている。彼が今日お休みだったので一緒にいってもらった。

英語が苦手だった私が6年か過ごした場所。実際最近行っても教室に行くことは

なかったのだけれど案内してほしいといわれつれてあるった。なんとも妙な感じ。

英語の再試を受けた場所・・・授業中ねてばかりいた教室・・・わけの

わからない説明をしながら案内して歩いた。途中、英語の先生に会って声を

かけられた。隣にいる彼をなんといっていいのかわからず紹介し損ねた。

友達にあうとみんなにだれ?ときかれた。とにかく英語苦手意識の強かった

時代の友人達だけに私がしゃべっているのをみて、不思議そう。彼もどう対応して

いいのか困っていた。でも、楽しかったらしく一安心。毎日通った大好きだった

土手の道を歩きながら彼がいてくれることに感謝した。

 

2001年神無月五日(金)

彼の大親友であり、私の大好きなお友達の一人Tomがアイルランドへ急遽

帰ることになった。このところあまり私は会うことが出来なかったのだけれど

様子は聞いていた。体調が悪いというのも聞いていたけれど・・・いつでも

楽しそうで、元気一杯の彼があってみるとやせ細った・・・。もともとスリムだけど

ものすごく元気もない。みていて痛々しかった。彼の送別会&お誕生会のため

大崎のShannon'sへ。ここは前にうちの彼が働いていたところでもある。久々の

顔ばかりですごくうれしかった。うちのママさんも楽しんだようだ。夜中の

二時ごろまで大騒ぎ。彼をママとくるまで送り返ってきたら4時。でも、Tomのこと

を思うと胸が痛い。「また元気で合えるよね。約束だよ!」と無理やり約束。

神様、本当に痛みをとってあげてください。一日も早く元気になりますように。

 

2001年神無月三日(水)

この二日間、日中は夏日が戻ってきた。いよいよ10月。もうじき30路。

ここ数日、自分について考えさせられることが多くあった。20代は水草の

ように揺られ、振り回され全くおかしなことばかりしてきてしまった。ようやく

回復しつつあるけれど、払った代償は大きかった。でも、学んだものもあると

私は思う。どんなことでも無益なものはない。何もしてないように見えても

私にはきっと財産になるのだろうと思う。しかし、そろそろエンジンをかけないと

やる残してることが多い。このままでは「親孝行したいときには・・・」と

なってしまいそうだ。

 

ホ〜ム