2001年水無月文月葉月長月神無月, 霜月師走如月&弥生

 

 

 

2002年卯月29日(月)

ゴールデンウィーク突入。昨年と違って、彼がここにいるのでなんとなくわくわくする。

土曜日、私は焼肉のしたごしらえをし、彼はうちにきて一緒に食事をした。その後映画三昧・・・

といいたいところだったけれど、The Shiningをみて途中で逃げ出した。有名な作品だし

見てみたかったけれど、私のこわさの幅を超えすぎて途中でたえきれなくなった。

その後、口なおしにFriendsをみた。彼はまだ、つかれがとれないのか、カウチでねてしまった。

しばらくして、むくっとおきあがり時計をみて大慌て・・・「仕事に遅れる・・・」「夜だよ。週末だし・・」

あ・・そうか・・・ねぼけたらしい。そのまま、寝ようとベッドに移動し就寝。翌朝,ゆっくり起きて

昨晩やいたソーダブレッドにまだ残っていたアイルランドのベーコン、オレンジジュースに

コーヒー・・・理想的な朝食だ。でかけるつもりがふとテレビをつけるとジョーズ・・・ついつい

みてしまい(しかも、その後ジョーズ2までやっていた・・)着替えるために彼の家へ移動。

その後、自由が丘へ。私の好きな町ながらいっしょにきたのは初めて。あるお店をみていたら

サングラスがうっていた。私も好きだけど彼も大のサングラス好き。あれやこれやかけつつ

していると、「すっごいそれにあうよ。買ってあげる。」とオレンジ色のサングラスをかっててくれた。

似たような形の色のちがうものを彼も購入。ちょっとペアみたいと喜ぶ私。その後,はじめての

O'caroline(つづりあってるかな?)私は、ずっと「オーキャロライン」だと思っていて、「オーキャロラインって・・」

と話してると大爆笑された。それじゃ・・うただって・・・なかなかすてきなパブで、さすが自由が丘といったかんじ。

ただ、ギネスが高い・・・。で、一杯で次へ移動。その後、いっぱいずつはしごして、ビリヤードをやりにいった。

私は、感を取り戻すのに時間がかかりおお負け。いやいや、彼のビリヤード姿にほれてしまった(笑)

色々はじめてのことをしながら、とてもたのしい時間を過ごした。そうそう、そこで先日の大事件の話をした。

欧米社会ではお酒緒飲むことはとてもデリケートな問題なんだと改めて感じた。でも、日本では

ちがうことを説明。彼は、でもうまくママさんに説明してくれたらしく問題は一応解決をしたらしい。

彼も、「君は英語がうまいからついなんでも同じようにわかっていると思うんだけれど、ちがうんだね。

そこは僕も配慮がたらなかった。ごめん」とあやまってまでくれた。それをわかってもらえるのはうれしい。

また、彼もそういう違いを理解することが面白いと感じたらしい。「実際、君に会うまで日本人とあまり話し

たことなかったしねぇ・・・日本で外国的にくらしてたよ。」と反省していた。もっと、色々みたいいいながらも

自分でうごかない自分にがっかりしたとか・・色々な話ができて非常に充実した一日だった。

今日は相模大野のアウトレットモールをみにいった(結局何も買わずに帰ってきたけど・・)

もっと色々二人でExplorしようねという話になり来週が楽しみだ。

2002年卯月26日(金)

仕事が終わってから、久々に電話があって大学の友人マイにあった。仕事の話でもりあがり、

楽しいガールズトークだった。たまたま彼の職場の近くでのんでいて、駅でwかれ、帰ろうとしたところに

彼からの電話。「今から帰ろうと思って駅にいるよ。」というと「僕も駅。明日しごとないんだから

おいでよ」と誘ってくれた。はしって彼をさがし、とびついた(笑)なにしろ、帰ってきてから

彼がいらつきムードだったこともあってそんな風雨に読んでくれるとは思わなかった。しかも

昨晩も夕飯は一緒にたべたのに。私は、ものすごいご機嫌だったので彼は終始、電車の中で

顔をみながらニコニコしていた。こんあことがあってね、あんなことがあってね・・と仕事の話

と友達に合った話をするとなんだか彼はうれしそう。一通りしゃべりたかったことをしゃべりおわり

ふとみると、降りる駅。にこにこと手をつないで歩いた。その後,いつものアメリカンパブへ。

ケブくん、フィルくんが同じマンションの女の子の先生仲間と飲んでいたのでそこに合流。

常連のお客さんやマスターに挨拶して大盛り上がり。日本人の女のこのお客さんが彼に

久しぶりと声をかけた後、私を見る目がこわかった・・・(汗)「なんだ・・女連れ?みたいな・・)

でも、マスターがこいつらはいいカップルだからねぇ・・と太鼓判を押してくれたので

ま、安心?私がいないところでこういうことになっているのかぁ・・とちょっと不安を覚えたけれど

ま、大丈夫だろう。朝,仕事のため早く起きて帰ってきたのだけれどやたらと朝から彼はご機嫌。

私の顔を見てニコニコしてる。アイルランドへ行く前の彼に戻った。良かった〜♪今日の晩もあえるし、

ゴールデンウィークだ。ゆっくり合える時間があるので楽しみ。

2002年卯月24日(水)

朝、会社にいこうといったんおきてみたものの,やっぱりまだいたい・・・。そこで、休暇を

とった。そして、いよいよかえってくるんだぁ・・・と思っていたら、いてもたってもいられなくなり

「よし、おどかしにいこう♪」と成田空港へ。なんだか、おっかけのデマチ気分。おもわずWestlifeの

来日を思い出してしまった。人が少なくドラマの撮影をしていた。アリとキリギリスの小さいほうの

人とカタセリノがいた。オーラがすごい。横目でみているうちに、BAの乗客らしき人がちらほらと

でてきた。しばらくして、彼がでてきた。最初,私をみつけた瞬間・・「へ?」って顔をしていた。

とりあえずとびついてみた。そこで一言「What are you doing here?」ひどいなぁ・・・休暇をとった

事情を説明した。彼は非常に疲れているらしく、なんだかちょっといらついている。

「なんで?バケーション楽しめなかったの?」ときくと、家族とあうとこんなもんでしょう・・

といいながら、全員とそれぞれけんかしてきたという。しかも、物価が高騰していて思ったように

(というか全然買い物もせず・・かったものは喘息の薬・・かわいそうに・・)買い物ができなかったらしい。

「これで、しばらく帰らなくて大丈夫だ♪」と喜ぶ。全く,困った奴だ。電車の中で風景をみながら

「日本はいいねぇ・・」とつぶやいていた。よっぽどなんかあったのかなぁ・・・と思った。でも、彼の

親友でガンに冒されたTomにもあってきたときいて安心。けっこう元気になったらしい。

アイルランドは、物価は高いし,サービスは悪いしやだね・・日本は高いけれどサービスとか

ものはいい・・・ずいぶん,日本びいきになったものだ・・・。とりあえず、シャワーをあびたいというので

うちに帰ってきて、その後、買ってきたベーコン、ソーセージ、そしておばあちゃんのソーダブレッド

でアイリッシュブレックファストをつくってくれた。帰ってきたうれしさと料理してくれることがうれしくて私はニコニコ。

でも、なんとなくトゲトゲしい・・おいしくご飯を食べた後、お昼ね。私も身体をいたわらないと・・と

いっしょにお昼ね。夕方、映画をみながら夕飯を食べにいこうかとはなしていたけれど、うちでパスタを

ゆでて簡単にすませた。そこから・・・・彼のとげの理由がわかった。「話がある。」といわれ、

なんかいやな気がしたんだけれど・・・的中。今年の初めに、彼のママに私は彼の写真を送った。

そのときの手紙の内容に若干問題があった。彼のママがそのころ、毎週おおよっぱらいで

電話を彼にかけてきたということがあって私は、いよいよ子供全員が家をでてしまって彼女も

寂しいんだろうなぁと思った。そして、手紙の最後に「Brendan is worried about you,

so don't drink too much」と書いてしまったのだ。しかも、家族がみんなよむであろうところに書いてしまった。

私は、全く変な意味をこめていなかったけれど、一度しか会ったことのない私にそんなことをかかれたことに

恥ずかしい思いをし、さらに怒っていたらしい。それを指摘され,しかられおちこんでしまって1時間なきつづけた。

なんだか混乱してしまった。そのときに,彼に確かに付き合っているけれど、家族のことは

君には関係ないといわれてしまった。カルチュラル ディファレンスであると1時間後に気づいた。

私は彼に何も言わなかったけれど、うちのママさんは彼は私に気を使わなさ過ぎるとよくいうことがある。

結婚の約束をしてなくても、家族に紹介し、今までもなんどか会っているところで、もう少し

気を使ってもよかろうと私も思うことがある。でも、そういう日本人的な親尾考え方に答えるような

ことをやってはいけなかったのだと気づかされた。私が過去につきあっていたアメリカ人の

パパ、ママは一度しか会っていない私にもクリスマスカードを送ってくれたりしていたのに・・・。

でもしかし彼らはアイリッシュなのだ・・・。まだまだ、わかっていないんだなぁと反省した。

この件は彼とまた話す必要がありそうだ。一時間後、まりにいじけている私をなだめてくれ、

「同じことしなきゃいいんだから・・・」といわれ、落ち着いたけれど、そういうことかなぁ・・・

と思った。たまに彼は人を拒絶するようなところがある。そしてものすごく神経質だったり

以前「僕は君の事だって信用していない。人間なんて信用すべきじゃないんだ・・」といったことを

思い出した。これは、何か相当深い着ずがあるのではなかろうか・・・。きっと、お母さんともめたとき,彼は私のことを

かばってくれたんろうなぁと思う。でも、私の常識は、どうも非常識らしい。でも、私は、だまされてきたことも

あるけれど、人を信じられなくなりたくない。彼もようやく私を信じてくれるようにはなってきた。

誤解が解けるかどうかわからないけれど,それでも、私は私なりに前向きに接していこうと思った。でも

ママが私に、おみやげをくれた。ワールドカップアイルランド応援グッズである。バスタオル、キャップ、

パイントグラス(これはかなうれしい♪)T−シャツ。彼にたのんでおいたゲール語の辞書、ビネガー、

そして、ジャージ。でも、彼はおみやげかってきてくれなかった・・・ま、お金がなかったらしいので

しょうがあるまい・・・。しかも、そんなことがあったら・・・かってくるきもなくなるか・・・でも、無事に帰ってきたから

私は満足。

 

2002年卯月23日(火)

昨夜から胃がきりきりするなぁと思い、明けがたおきるとやけに寒い。なんだぁ・・・

ふらふらする・・と念のため熱を測ると8度6分。え???なんで?と気づいたときには,

足はしびれてるし、胃がいたい。背中の腎臓部までいたい・・・。やばい・・・。とりあえず会社に連絡を

いれ、上古湯を伝えた。病院にいこうとしても、寒気がひどく、足がふらふらで歩けない。

しばらく待って,やっと病院へ。近くのバス停まで歩くのに体がずるずる\\おもわず救急車をよぼうか

と思ったほど。長い待ち時間の据え(しかし、病気っぽくないひまそうなお年よりがないかは多すぎ・・)

診察。急性胃炎・・・腎臓も何かウィルスがはいったかもしれないとのこよ。とりあえず薬を

もらって内へ帰った。今,国民保険から社会保険に切り替え中のため自費。つらい・・・。

家に帰り、寝ていたら少し根はさがり、今は7度4分。ママさんがきてくれおじやをつくってもらう。

全く明日は彼が帰ってくるというのになんてこった・・・。自分にいらつく。しかも熱のせいで足の

関節が痛い。元気になって会えるといいなぁ。もう今ごろ、飛行機の中だろう・・。

2002年卯月22日(月)

あさっての今ごろはもう彼に会えるんだと思うとうれしい♪昨夜、彼に彼の友人の電話番号を教えるために

アイルランドへ電話をした。プルルルル・・・・ドキドキ・・・・「Hello」ママがでた。いつも彼女ともっと話したいのに

「ブレンダンにかっわるわね」とすぐかわられてしまった。そして、「もしもし・・笑」すっかりj日本語。以前に遠距離していた

ときを思うとはるかに上達したなぁと思わずほめてしまった。「元気?」「元気よ」なぜ女言葉・・・。そして、私の口ぐせ

「あのねぇ・・・」と話し出すと彼は笑う。なんか、この「あのねぇ」が好きらしい。用件を伝え、話したいことをしっかり

伝えた。「Are u missing me?」なんてきいてみた。「Yes, surely I am」えへへ・・うれしい。いっぱい夢をみてしまったよ

と伝えると大笑い。来月、社員旅行のようなものがあって、土日に温泉に行くのだけれど、貴重な土日にやや、

いきたくないなぁ・・と思っていたら、社長が「ダーリンもよかったらつれておいで。喜ぶよ,絶対」といってくれたので

その話をすると「いいねぇ。」と大喜び。一緒に行くことになった。わ〜〜〜い。それなら、喜んで私もいくぞ。

電話をきるのがちょっと寂しかったけど、もうじきあえる。「いま、一生懸命毎日がんばってるの〜〜〜。

だから、早くいいこいいこしてほしいの〜〜〜。」というと、「もうすぐだから、それまでがんばるんだよ。」

といわれ、子供のように「うん」とうなづいた。あと一日がんばれば、彼が帰ってくる。明日もがんばるぞ〜〜!

2002年卯月21日(日)

このところ、仕事で外回りが多く、なんだか忙しくばたばたして一週間がおわってしまった。

そして、この週末は久々に私も実家へ帰省。木曜日、おきて、携帯をみると4時台に2回も着信。

どうも、国際電話らしく彼に違いない・・・。「うぅ〜〜〜〜。なんでコンナ時間にかけてきたんだぁ・・・

ぐっすり寝ててきづかなかったじゃないか〜〜・・」と思い、一応メッセージを確認すると普段彼はいれたことが

ないんだけど・・「もしも〜〜し・・・ごめんなさ〜い。I'll call you later」とはいっていた(笑)このごめんなさい・・は

私が「ダブリンについたら電話してね」といったのにかけてこなかったことにたいしてなんだろう・・・笑。

そして、翌日金曜日。この日は同僚の女性人だけでお食事会ということで、六本木へ。ふと会社をでて、

着信をみると、ほんの一分前に国際電話の着信・・・うぎゃ〜〜〜〜・・・・。しかし、3度目の正直。

六本木に着いたところで,着信。「もしもし・・・」わ〜〜〜い、彼だ〜〜〜。尻尾がぶんぶん。。

しかしよりによって、六本木に着いたところで電話してこなくても・・(涙)「どこにいるの?」「え・・六本木・・」

「ふ〜〜ん・・・・」「いや、ちゃんと帰るよ、今日は(汗)」しかも、外でみんなまっているところで電話できる状態じゃ

なかったのですぐにきった。あぁ・・もっと話したいことあったのに・・。ま、もうじき帰ってくるし・・。

この2、3日ずっと夢に彼がでてくる。しかも願望としかいいようのない夢をみてしまった。

彼が帰ってきて、大喜びをしている私。「手をだして」と彼。「おみやげ?(わくわく)」「っていうかねぇ・・・」

と左手の薬指にクラダをはめてくれた。「これはおみやげじゃないよ。もうちょっと意味のあること・・」

「???ま・・まさか・・・」とまどう私。「やっぱりあえないとさみしいことがわかったから、ずっといっしょに

いてくれる?」うれしい〜〜〜ととびついた・・ところで目がさめた。すっごく幸せな気持ちでおきて・・夢か・・と

がっかり(笑)。でも、がっかりというかびっくりした。願望なんだろうなぁ。

今日はイースター礼拝だったので久々に教会へいってきた。元気になった。水曜日が待ち遠しい。

 

2002年卯月17日(水)

なんだか彼がいってからもう一週間ぐらいたっている気分。正社員二日目も無事終了。

電車の中で、ふと中吊り広告にひかれた。そこには尾崎豊の写真。「???」マガジンと

いう少年雑誌で尾崎豊物語がのっているというので帰り道に購入。マガジンなんてはじめてかった。

もう彼がいなくなって10年経ったんだ。私は高校時代ものすごく好きで、何回かライブにも

いったのだ。親や学校や大人の世界に反抗心を感じていたあのころ・・・あぁ・・もうしっかり大人に

なったんだなぁと感じた。私は、思い描いていた大人にはなれていない。でも、そんなものかもしれない。

「あと何度自分自身卒業すれば・・本当の自分にたどりつけるだろう・・」まだ、答えがみつからない。

ただただ、必死に毎日を過ごしている今の私。ときに発作的に息が詰まりそうになることがある。

でも、今の私は、幸せだ。私を愛してくれる人、愛せる人がいて、大好きな友達も沢山いて。

大変だけれど、仕事も好きだし。英語を通し、どれだけこの数年で世界がかわったことか。

今日はゆっくり尾崎をきいてピュアな気持ちにもどってみよう。

 

2002年卯月16日(火)

なにがなんだか・・この週末は忙しかった。そして、今朝,無事に彼は帰途に着きました。いまごろ、

ユーラシアのどこか上空を飛んでいることでしょう。金曜日の晩、彼からの電話。「明日,昼頃

何してる?」なんだろう?とワクワクしてたら・・「ランチ代がないから、いっしょにランチしよう♪」

あたたたた・・・・・私もおみやえもあるし、ちょっと貧乏。そこで、ランチを作って持っていくことに。

翌朝,ねむい目をこすって,ランチ作り。オムライスをつくって彼の勤務地の近くへ。オフィスビルの

谷間のベンチでランチ。その後、いったん家へ帰り、母と彼のママのためのお土産を買いにいった。

彼のママはきれいなウェーブがかったブロンド、そこで彼からなにかくしのようなものは喜ばれるときき、

きれいな和風のデザインのくしを購入。そして、うちのママさんが食事代をだしてくれ、私たちは

またもや牛角へ。先週の失敗に学び、ふたりとも慎重に注文。約4000円で収まった。そして、

彼は一言。「一週間以上も牛角にこられないなんて・・・・」そんなにすきか・・・牛角が。「日本で

一番恋しいのは私じゃなくて牛角じゃない?」ときくとニヤニヤしつつ、その通りと答える。まったくもう・・。

その後、地元のパブのオーナーにしばしの別れをつげに行く。ケブ君も登場。みんなに早く帰ってこいよ〜

といわれ、私は「いないからって遊ぶなよ」と釘をさされる。まったく、口の悪いやつらだ。

翌日、ゆっくり起きて,朝からそうじ、洗濯と大忙し。その後,池袋へお土産の下見をしにいった。

帰ってくると、彼はいまいち調子が悪くなっていた。私もいまいちで、ふたりして6時ごろからねてしまった。

10時ごろ、何かをたべさせねば・・とミートソースをつくった。たべて、すぐまた彼は就寝。私も

することがなにので、就寝。そして、月曜日。まだ調子がわるいとぐずついている彼。でも、買い物をしないと・・・

と原宿、渋谷へでかけた。銀行にいったものの、なかなかユーロをあつかっている銀行がない。3件目でやっと

両替できた。その後,新橋、秋葉原で彼は携帯をカメラのついたものに変えた。私は、みつけられなかった

彼のおねえちゃん、パパなどへのお土産を買いに浅草へ。走り回って、ふと・・あぁ・・カギを彼の家においてきたと

気づく。彼はふとんをクリーニングへだしにいったん帰り、プライベートレッスンのためにでかけた。そこで

おちあいカギをもらい私はうちへ戻ってきた。その後、スーツケースをとりに彼は自宅へ戻りうちへきた。

なが〜い一日。彼はくたくあだったので軽くサンドイッチを食べ就寝。おみやげは、彼のパパへ、ぞうりと

名前の印鑑。ママへ香水と私のママからのくし。おねえちゃんへは、デニムに着物の布をつかったバッグ、

弟には、ビアサーバー(笑)あの、おもちゃのようなあれ・・・。そして、ママが以前喜んでいたのでかわいい缶に

はいったチョコレート。彼のスーツケースはいっぱい。そして、今朝6時半に起き、ご飯をたべて、駅へ向かった。

私の通勤時間まで時間があったので、乗り換えの必要なところまで一緒にいき、そこで別れた。さみしいというより、

やることをやったという妙な充実感が残った(笑)。私の分までゆっくりはねっをのばして、楽しんできてくれるといいなぁ。

お土産話が楽しみ。

 

 

2002年卯月12日(金)

一週間がおわった〜〜〜。ほっと一息。頭がくるくるぱ〜だ。なんていったって、営業補佐、求人リサ−チ、

システム、アドミなどなどやることが山のよう。色々な角度に頭を切り替えるのは楽じゃない・・・。

しかも、その中で英語と日本語で仕事。たまに私すごい!っておもってしまう(笑)。もう、ひたすら

うちに帰ってくつろぎたくて、はなきん(死語?)だというのにおうちに直行。今日はみたい映画がいっぱい。

まずはHeat Of music。前から見たいと思っていた映画だったのだけれど、久々に心温まるやさしい

気持ちになった。最近、つくづく一人の人間がいきていくって大変だなぁと思うくらい、いっぱいいっぱいで

他人をおもいやる余裕がいまいちない。仕事で他人を思うというのは、所詮仕事というかんじがしてしまう。

彼の状態も落ち着いてきたら、自分を立て直すのに精一杯。だから、メリル・ストリープが離婚を決意して

子供二人を育てる決意をしたときのいらいらしたあせりがすごく良くわかる。でも、私には神様がついてる。

だから、大丈夫。でも現実はつらいこともいっぱい。私はいつも、こう。でも、後になるとそれが成長の

きっかけを与えてくれていた。今のきついことは、必ず後の実りになることがわかっているから私は頑張れる。

いよいよコンドの火曜日、彼がアイルランドへ一週間帰る。おみやげを楽しみに、社員としての初の

一週間がんばるぞ!その前に、休息・・・といいたいけど、彼の帰省準備におわれそうだ。

 

2002年卯月10日(水)

いよいよ正社員になることに決定した。というか、実際にはちょっと迷っていたので逃げていたんだけど

腹をくくったというかんじである。ま、忙しいのはかわらないし、月曜日にでることがちょっといやだなぁと

思う気持ちがあったのだけれど、話が面白い方向になってきた。これは展開をみてみないと・・・。

腹をくくると仕事もすすむ。いいことだ。いつもどおり?2時間の残業後、家に帰ってきてスカパータイム。

今日の映画は「Marvin's room :邦題My room」レオとメリル・ストリープの出ているあの映画。一度,観たことは

あったんだけれど久々にみて、心がほ〜〜っとした。やさしい愛っていいなぁ・・・こんなセリフがあった。

ベッシー「私は本当にしあわせだわ。二人も大事な人がいる(寝たきりのパパとアルツハイマーっぽいおばさん)」

リー「そうよ。二人に愛されてる」ベッシー「違うの。二人も愛を注げる人たちがいるってことよ。」

寝たきりの老人をかかえて、おばさんはぼけてしまい、自分は40後半で独身。しかも白血病という状況なのに。

たしかに映画だけど、自分を振り返って反省した。感謝せずについつい不満になってしまう。うちは再就職支援会社

だから、リストラされたり倒産という会社都合でやめさせられた人たちをお預かりしている。しかし、少人数で

カバーしているから本当に忙しい。でも、仕事があることは幸せなのだ。忙しいとは心を忘れること・・と

いうけれど、本当に感情が鈍くなる。年々、それがひどくなる気がする。自分以上にみんなを大事にやさしく。

そんな自分になりたい・・・・。

2002年卯月9日(火)

今,スカパーでThe Dead ( ジョスのダブリン市民より)という映画を見てます。でも、ダブリナーズって

アングロサクソンをさしているのか妙にイギリスチックです。原本もっているのに、よみきっておらず

内容がいまいちつかめない。今日は、会社について早々、ついついぷちんと堪忍袋の緒が切れてしまった。

朝からいらいら・・・でも、もういいや、人文で解決方法探して実行したほうが早いとわりきり、なんちゃって

システム担当になってしまった。うちの会社のシステム部は全員日本語のできない外国人。そして、

多少は他の人よりPCわかるし・・ってことで私。でも、問題解決って、なんか好きでやっているうちに

楽しくなってきた。そして、ランチタイムに携帯にメールが・・・彼からだった。「かわいそうなブレンダンさん、

昨日の晩、すっごい調子悪かった・・・」という内容。げげげ・・まじかい・・・?即効、電話をした。いまいち、

元気がない。どうもやっぱり薬が合わないらしい。薬のアレルギーかもしれない・・・とのこと。また、病院にい

かねば・・なんといっても、かわいそう。相当気分悪いんだろうなぁ。何もしてあげられないことが歯がゆい。

「とりあえず大丈夫だから」といわれたけれど、しんぱい。でも、しんぱいしてもどうなるものでもない。

だから、祈った。私もおちついてきた、そして仕事に集中。なかなかいい仕事したじゃん・・でも、本来の業務が

とどこおってるじゃん・・・・(涙)。しかも、うちのボスまで体調が悪い。抵抗力のない私にうつさんでくれ・・と

おもいつつもややのどが痛い。今日は早くねよう。は〜やく、元気にな〜〜れ。

 

2002年卯月8日(月)

昨日はなんとなく家のことをやり、わたしが今日仕事だったのでうちにきて、スカイパーフェクト

TV大会となった。映画をみて、楽しい時間を過ごすにつれ、来週の16日からの一週間かれがいなことがさみしいと

思うようになってきた。「Will you miss me in Ireland?」などとばかなことをきくわたし。「surely I will. 

But it's just one week.」そうなんだけどさぁ・・・このところ仕事が忙しいわたしは、彼の顔をみるとほっと

しているので、いないのが寂しいと思ってしまう。こんなんで、今後遠距離が発生したらどうなるんだろう・・

と思う。最近、お休みになるとすっかり、チンパンジーのももちゃんと化し、彼を気にみたてのぼってみたりしている。

「明日からしごとだ・・・ももちゃんからチズコさんにもどるんだよねぇ・・・チズコさんは仕事バリバリこなして

すごいけど、あれはわたしじゃないの〜〜〜・・・・」とわけのわからないことを言っていた。夜中、

彼に起こされた。「大丈夫?震えてるよ」といわれ、夢からさめた。そのとき、へびに囲まれて

空からもへびがいっぱいふってきて、一匹がわたしにおそいかかろうとして枝をもって戦っていたのだ。

夢の内容を話すと「Poor chi-chan. 大丈夫、僕がいるよ」といってくれたので安心してまた眠りについた。

朝,わたしはおきてスーツをきて、まだねている彼のところへいくと「チスコさんだ・・僕のモモちゃんを返して。」

といわれ、なんのこと?と一瞬思ったけれどわたしが昨日いったことだと思い出した。「ダメ、まだここにいるって

モモチャンがわたしの中からでてこようとするでしょう。。」とわたし。多重人格か・・?しかし、彼は薬があわず

まだ調子が悪いみたいで、おいていきたくなかった。でも、仕事があるので、でかけた。夕方、あまりに

つかれて電話すると「まだ、仕事してるの?もう、おわりでしょう?」と彼。「おわらない・・・」「誰が,そんなに

無理させるの?僕が殴りにいってあげるから」と彼。あぶない奴である。やっとそこで、笑いがこぼれた。

笑えると気分が明るくなるけれど、あまりに忙しくて笑えなくなってしまう、このごろ。

神様、わたしがいっしょにいられないときも彼のことを神様がまもってあげてくれますように・・・。

 

2002年卯月6日(土)

まちに待った週末。なのに・・・全くなんて日だ。彼の仕事が終わり、待ち合わせいつもの焼肉「牛角」へ

いった。その支店にははじめていったのだけれど、どこにいっても非常に感じのよいお店である。

なんと・・今日は「外人メニュー」といって、英語メニューを出された。いつもは彼のすきなものを

見繕いわたしが注文しているのだけれど、そんなわけで彼が自分で注文。ふたりともご機嫌で

あった。わたしはこのところ、かなり食生活がいいかげんだったのでサラダを注文。・・といつも

の行動と違うことをしたのがまちがいのはじまりだった。さて、かえろうと会計を見ると・・・6800円!

げげ・・高い。お財布を見ると二人の所持金はあわせて、6000円。いつもは二人でしっかり食べても

5000円くらいなのに・・・。彼は家に帰らないと銀行も使えないという。なので、わたしはコンビニへ

走った。ところが・・・ありとあらゆるコンビニへ走ってもわたしの銀行が使えない。ちゃんと都市銀行だし

普段はATMのおいてあるコンビニにいってもない・・・。20分くらい走り回って、いきつくしてしまった。

「ど・・どうしよう・・・こうなったらわたしの名刺か何かを置いて明日はらいにこよう・・・」とお店にもどった。

割引券を使っても300円足らない・・・。う〜〜〜・・・・とお店の人に相談。やさしいお姉さんが「わたしの

割引カードつかいますか?」と聞いてくれたけれど、あまりに悪いので店長さんを呼んでもらった。

しかし、彼に相談する前に解決しようとしてしまい,彼に事情を話すと怒られた。当然である。

「なんで、僕に最初にいわないの?」・・・パニックしていたわたしは、先にお店の人に相談してしまったのだ・・。

店長さんも、色々考えてくれたところで、「僕のカードをつかおう・・・」と彼がクレジットカードを使ってくれた。

カードなんて全く考えてなかった。とりあえず、そこで無事にお店をでられた。おみせのみなさん、ごめんなさい。

しかし、わたしはバツが悪くて、彼の顔が見られない。「もう・・わたしはなんてことを・・・」と思い、ごめんなさい

とあやまると「何に?」と彼。「全部・・・」言ってるそばから涙がでてきてしまった。彼に最初にいわなかったこと、

帰ろうと彼が言った時、もう一杯と粘ってしまったわたし・・・自分にショックをうけて、完全にパニック状態。

お財布をきにしなかったのもまちがっていた・・・。「あきれた?」ときくと「夕食はおいしかったし、楽しかったし

君は今週頑張ってくれたんだから、いいんだよ」と一言。また、涙・・・。あぁ・・・情けない・・。彼の優しさが

身にしみた。お店の人たちのやさしさもみにしみた。そんなおばかさんをおこらずにハグしてなだめてくれる彼。

「僕も前に同じ経験があるんだよ・・・前の彼女に学生時代・・・」と話してくれたのだけれど、そこからヤキモチ

が発生。・・・・こうしてわたしの自己嫌悪が続いた一晩であった・・・。

 

2002年卯月5日(金)

あらら・・・なんだかばたばたしているうちに週末です。仕事も今週は、入社してから一番忙しかったかも・・・

というくらい忙しくて、昨日もすべて終わったのが10時・・・。なのに、自分の仕事がはかどっていないという・・・

最悪だ・・・。ま、会社の方針上仕方ないけれど。それ以上に今週の大事件は、彼の喘息発作。「息が出来ない」

から始まり、一時は「どうしよう。死んじゃったら・・・」と不安にもなったけれどなんとか大丈夫らしい。

情けないのは、週末ずっといっしょにいたのに、調子悪いらしいと気づいていなかった私。一体なにみてるんだか・・

とちょっと情けなくなってしまった。すべては私の不信仰が原因だったのかなと思い知らされた。というのも、

こういうときばかり「神様〜〜〜」となる私。そこで、祈り始めると・・・「そうか、薬に頼ろうとか、そればかりだったんだ・・

これは、何かメッセージかもしれない・・」と気づき,彼のもとへいき、背中をさすりながら祈った。息が出来ないからと

吸入の薬をすったら余計に神経質になり、気分も悪かったらしいのに、落ち着いてきたらしく、少し顔に赤身が戻り

笑顔がでた。ちょっと安心。「大丈夫。私がいのってあげるよ。」そういいつつ、祈ると、徐々におさまってきたらしく

朝になったら「なんか大丈夫かもしれない・・・」とかなりおさまったのだ・・・。神様の力は偉大です。

病院でもちろん、検査したり薬もらったのだけれど、彼曰く「お祈りのおかげだね。君が一番の薬だよ」

うれしいことを言ってくれる。本当に神様に感謝。もらった薬が身体にまだなじまないらしく、鼓動が早くなったり

めまいがおきたりしているらしい。こっちのほうがしんぱい。とにかく私の周りに喘息の人がいなかったので

私は全く知識がなかった。でも、お医者様から「あなたも勉強して」と本を渡されたので、色々と勉強中。

助けてあげたい。できれば変わってあげたい。でも、私はあまりに無力だ。でも、できることはやってあげようと

思う。「You save my life. Thank you」私も彼のために禁煙することにする。ちょっと大変だけど、がんばろう。

早くげんきにな〜れ。

 

 

2002年卯月1日(月)

ただいま〜。箱根から帰ってきました。帰りのバスの中から、たくさんの社会人1年生をみて、

う=ん、みんながんばれ〜〜〜。と心の中でエールをおくりました。さてさて、箱根の話。

ブレンダンと今回2回目になる箱根の旅。30日の土曜の晩、新宿から高速バスでいくことに。

いつもは車でいくのだけれど、帰りの渋滞でまた疲れてしまいそうだったから今回はバスにしてみた。

私たちが行くところは、電車でいっても必ずバスに乗らないといけない場所。でも、高速バスなら

直行便があるのをみつけた。約2時間で到着。往復3330円とはなんともうれしいかぎり。

今回は徹底的にこもろうということで、ソーダブレッドを持参,現地で飲み物、食料を少し手に入れ,

コンドミニアムへ向かった。毎日、忙しくて、くたびれていた私は彼といっしょにいるだけで、ハッピー♪

コンドミニアム到着後、温泉!といきたいところだったけれど、こたつに入ってしまったら、うごけなくなった。

ブレちゃん、はじめてのおこたに大喜び。「いいねぇ、これ!」とりあえず、疲れていたので軽く飲んで

早めに就寝。朝,私は10時過ぎにおきて、朝食をつくり彼をたたき起こす。「いやだ〜〜なんでおこすんだぁ・・・」

と文句をいいつつも朝食のいいにおいにつられておきだしてきた(笑)。久々のソーダブレッドに喜びつつも

日本のベーコンはまずい・・・アイルランドのべーこんは・・・とうんちくをかたりだす。あとで、おいしいベーコンを

買いに行く約束をし、とりあえず温泉。は〜〜〜おちつくわ〜〜〜・・・・・。でてきた彼がきていたものは・・・

なんとゆかた。そうこれは、サッポロのホテルから、彼がぬすんできたもの(ごめんなさ〜〜い)。ゆかたをきて、

温泉、そして、こたつを堪能。窓からは山がたくさんみえる、そんな中「日本はいいねぇ。東京の生活は

疲れるけど、日本人はくつろぐっていったら、本当に色々いいものをもっているよねぇ。温泉、こたつ、ゆ

かた・・・あつかん(笑)日本食も・・・ま僕はあまり好きじゃないけど・・・(笑)」温泉のおかげで彼は

すっかり日本がすきになったらしい。おもしろい。そして、私の持参したくも○式の「ことばと読解?」

一年生版をがんばってこなしていた。せっかくいお天気だし、散歩にいこうとでかけると、いつものごとく・・・

「おなかすいた・・・」はいはい、じゃぁ、ドイツソーセージやさんでなんかたべようといってみた。

私はBLTサンド、彼はハッシュドビーフ。「僕もBLTサンドは好きだけどLとTがきらいなんだよね」

そうして、私のBを一個うばっていった。こkのベーコンはとてもおいしかったので、一個別に買い、

その後違う肉屋さんをのぞくとまたおいしそうなベーコンを発見。また、ベーコン購入。そして

手作りのボローニヤソーセージも購入。せっかくだから、おいしいバゲットも買って夕食の準備は万端。

その後、散歩をして、コンドにもどり、すぐに夕食準備。彼がつくる。これが、おいしかった。

そして、また温泉。ふやけまくり。すっかりくつろいで、彼はず〜っとご機嫌。そう、このところ、

彼の目がやたらとやさしい。なんとかそのyさしい目を写真にとろうと試みるがカメラをむけると

変な顔をする。「そんな目でみられたら、おちない女の子はいないわね。」というと大爆笑。

そこから、お互いほめあい大会・・・(笑)私たちは・・・そう世界で一番バカップる・・・・。こんなこともあった。

私がなにかするのに快い返事をしなかったら「Do you hate me?]と冗談っぽく言うので

「In fact, I do」と答えると本気ですねてしまった。「僕は絶対そんなこといわない」といわれ、「ご・・ごめんね。

冗談だよ〜〜。ちょっとからかっただけ・・」となだめてものってこない。「ど・・どうしよう・・・」と本気であせりながら

[Who can hate you?Noone can...Surely I do love you、sweetheart」とフォローしてもくちびるつきだして、

イジケモード・・・。私がいじけたいよと・・・ほとほと困っていると・・・「Don't u hate me?」と大きなおめめで

のぞきこんできいてくる。「Of course,Not」あぁ・・やっと回復してきた。どうしようかと思った一件だった。

しかし、どうもこれはやや本当に冗談ではなかったみたい。反省。つきあいだして、一年4ヶ月・・・・

彼がこんなにひょうきんで、かわいい性格だったとはとあらためて気づいた。二人だけのときにみせる色々な

顔。本当にいい関係になってきたなぁと思う。そして、最終日。朝、温泉にはいりにいくと「ガス入れ替えにつき

入浴禁止」の文字。ふたりともがっくり。来月またこようということになった。新鮮な空気をすいすぎたと、せき

こんでいて、喘息がきつそう。ちょっとしんぱい。ま、なにはともあれ、楽しい週末でした。